好きに弾いて良いと適当なことを言うスウェーデン人

テノールハルパを和室に置いていたら、3か月で虫に食われました(毛を食べられた)。以前、子どもの使っていないバイオリンを和室に2台ハードケースのまま置いていた時も虫食いに合ったのを思い出しました。南向きの明るい和室ですが、畳の部屋は保管に向かないのかも。皆さんもお気をつけて。

さて挑発的なタイトルをつけてしまいましたが、最近、考えさせられるやりとりがあったので、ちょっと書いてみたいと思います。

「守破離(しゅはり)」という言葉をご存知ですか?

日本の武道、茶道など、古い師弟関係で学ぶ「~道」で言われる考え方のことです。「守」は私見を挟まずひたすら基本を真似し、「破」は確立した基本の上に個性が出て(基本を破る、型破り)、離は己のスタイルを確立する(例えば、その人の名前のついた流派が完成)、という意味だと思います。

「型破り」「型なし」という言葉も面白いなと思うのですが、「型破り」は「守破離」の「破」ですが、「型なし」は「守」が出来ていない、根っこがない時に言われるようです。

それで、スウェーデンの伝統音楽に話を戻しますが、「伝統」といえば日本語では格好よい響きがありますが、結局のところ「一般民衆の民俗音楽」です。厳しい師弟関係があったり、日本の「○○道」のようなしきたりがある訳でもありません。ですが、数百年続くものには、やはり「型」というか「スタイル」があるものです。でも、ルールブックも師匠もいないから、その見えない縛りがゆるーい。楽しみで弾いている、ほとんどの人は意識をしていないと思います。でも、無意識にその「型」が崩れすぎないよう守っているんです。(どの地域のどの奏者のどのスタイルと、伝統を強く意識している人もいます。)

スウェーデン人はすぐにタイトルのように「好きに弾いて良いから」と言うのです。

ホントに良く言います。
日本で、人に指摘されるまで深く考えたこともなかったです。
留学中、ヴェーセンというバンドのOlovが先生でしたが、「フォークミュージック(伝統音楽)は自由だ。好きに弾いて良い、まさに君が伝統の一部で、新しい伝統を作るんだ」と最後の授業でいいました(カッコイイ!)。ですが、ウップランド地方に特有のワルツのスウィング感をゴリゴリ出せ!と繰り返し、繰り返し、何度も練習させられ、1時間弾き続けても「ダメ。全然。」と言ったのは、同一人物です。つまり、ウップランド・ワルツのノリは鬼コーチだし(守)。ただ、そこを確実にモノにできたら、その先は自由(破、離)と。そういうことだと思います。

ゆるーいスウェーデン人集団は、どうやって「型」を無意識に守っているのでしょうか?

推測ですが、曲を覚えたり皆で楽しく弾きたい人は、地方、地域の大小、さまざまなグループに属します。自分が踊りたくなくても、踊らないグループでも、ダンスをしているグループと常に関わり続けます。グループの集まりで、イベントで、色んな機会で弾く時に、演奏だけよりも「ダンス&演奏」という機会が圧倒的に多いです(伝統音楽のほとんどはダンス曲)。そこで、その曲でそのダンスを踊る時の核となる部分が(それも1曲ずつ曲ごとに)集団の中で暗黙にキープされていくんだと思います。グループに属さず、夏のお祭り(ステンマ)だけ行く人もいますが、上記のような人が大半な中に突入すれば朱に染まるというか、結局、無意識に型を守ってるんじゃないかなと思います。また、昔の伝統音楽奏者の曲はその奏者のスタイルでまじめに弾く人も割と多く、そういう中でセッションをすることで自然とリードされていくのだと思います。

「ここはどう弾いてもいいよ、好きに」という時は、「核となる部分ではない」から。

もう一つ、好きにどうぞって言われる時は核となる部分に影響しない時だと思います。

何か違う。」

違う地方の人が違う地方の曲を弾くと、あれ?何か違う?と、スウェーデン人同士でも言います。本人も自覚していて。そういう時は、悪意はないのですが「何でそう弾くの?誰に習ったの?」と聞かれます。プロで活躍する伝統音楽奏者も、セッションでは色々弾いてもステージでのレパートリーは出身地の曲ばかり、ということが多いです。

この「守」の部分をちゃんとモノにしていこうと思うと、メロディを覚えてなぞるのではなく、書道でいうなら、筆遣い、緩急、線の細さ、止めハネの勢いや力加減も全部です。どれだけ聞こえて、どれだけ再現できるかは聞き取る力にも左右されます。ちゃんとやりはじめると、とても深くて面白いですよ。

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