今回はこのタイトル、ポルスカのリズムについてです。ディッテに質問した内容を掲載しました。
その前に…お知らせ。去年は福岡ライブをしましたが、今年の夏は福岡でワークショップを開催します。
ところで先日、所用で福岡に数日帰省していました。帰る度に「ギターちょーだい」と両親に言っていたのですが「重い」とか「デカイ」とか「弦が切れてる」とかでそのまま…
団塊世代って、昔、ギター弾き語りが流行ったようで1人一本持ってる!?ようなイメージがあるのですが、どうでしょう?そして、今回は「金属弦とナイロン弦のギター、どっちがいる?」というではないですか!ギターのことは分からないので「どっちでも、いらんほうで良い」というと、ナイロン弦ギターを渡されました。(ちなみに金属弦のほうは父、ナイロン弦は母が若かりし頃に買ったのだそう。)
これのギター、私と姉が子供の頃「”禁じられた遊び”くらいは弾けんといかんよね」と仕込まれた思い出のギターです。買ってからもうすぐ50年なんだとか。初任給が1万円くらいだった時代に3千円で買ったと聞きました。ソフトケースはチャックが壊れていたので、ガムテープで留めて持って帰りました(思い出のもの、と思うと捨てれず)。
さて、ギターなんて何にも分からないのに、とりあえずチューニングとドレミの位置を確認して…スウェーデンンの曲を弾いてみました!そういえばYoutubeでギターで弾いてるデュオがいた!と思い出しました。もちろん、こんな風には弾けませんが頑張ります!
Polona?s from Sexdrega – Bougt & Bergek Duo
ポルスカのリズムについて。さて、今日の本題です。
※ポルスカとは、スウェーデンの伝統的なダンスとその音楽のことです。3拍子ですが、土地によりリズムや曲調に明白な特色があります。
きっかけ
父に「そろそろメトロノーム使って、きちんと練習したら?」と言われたのがきっかけでした。「ポルスカは3つの拍の長さが不均等というけど、音楽である以上、各小節の1拍目は均等にくるはず。その一拍目にあわせてメトロノームを使った練習が有効なはず」と。そして遠回しな言い方ですが「そのアバウトなリズム感は違和感がある」と。そういわれること自体に違和感があるけど、言葉で言い返せませんでした。また、伝統音楽のリズムの訓練をもっとしたいと思った時にどうすればいいのか?その答えも分かりません。
ディッテへ質問
そこで、ニッケルハルパの伝統音楽奏者として指導者として信頼しているディッテ・アンデションDitte Anderssonに質問をすることにしたのです。ディッテは、言葉や楽譜にするのが難しい口伝音楽でも論理的かつ明朗な思考で説明してくれます。すると、ディッテから帰ってきた回答は、単に回答だけでなく、ポルスカのリズムやその神髄について触れたとてもとても深い内容だったのです。これは、ぜひブログでポルスカに興味を持つ方とシェアしたいと思い書くことにしました(ディッテ了解済みです)。
ディッテによるポルスカのリズム、ビートに関する考察
「メトロノームを使うことはあまり勧めません。ビスカレのような16分音符のポルスカsextondelspolskaなどではテンポを確認するのに使うことはあるけど。でも、8分音符のポルスカåttondelspolskaでそれをするとおかしくなってしまいます。コンスタントなリズムがポルスカのflow(流れ)を壊してしまうからです。
ポップス、ロックなどモダンミュージックでは、ビートが非常に重要でリズムに規則性を求めます。ディスコ・チューンとかね。もちろん、ポルスカにもビートはあるけど、それよりも何よりも重要なのはflow(流れ)であり、ビートとビートの間に存在するものです。これは、弓で弾く楽器や笛、歌は皆、常に音を出し続けるというflowがあるのです。一方で、パーカッション、ギター、ピアノでは、音を出した後は奏者がその音に何かをすることはできません。
そして、ポルスカの重要な特徴としてビートはわずかに変化することです。(ちなみに、ダーラナ地方のボーダBodaのポルスカのように2拍目が長いポルスカというのは、実は比較的、各小節は規則正しいです。ここでいう「ビートの変化」のは、この2拍目が長いとか早くくるとか、そういうビートではなく、各拍のアクセントのこと。)例えば、リズム・バリエーションの偉人、ヴィクスタ・ラッセViksta-lasseの演奏を聞いてみてください。彼は演奏中たくさんの音を加えますが必ずしもビートの上に乗っていません。例えば、そのビートの前から音が始まったりします。ビートというのは体や足にあって、ここというビートの時にはアクセントとして作り出すのです。こういうことは、他の音楽ジャンルの人をとても混乱させてしまうようです。
こうした伝統曲を現代風にアレンジするバンドの演奏を聞くと、すごく均一なリズムで一定のテンポで演奏が続きますが、ヴィクスタ・ラッセやエリック・サルストレムEric Sahlströmや、他にも今活躍している伝統音楽奏者はそんな演奏はしません。出だしのフレーズで加速するのもよく聞くでしょう。
こうした音楽のリズムの練習というと、一番はいいのは、お気に入りの奏者を選んだら繰り返し繰り返し聞いて、そのリズムに合わせることです。最初に言ったように16分音符のポルスカなど一部の曲では確認のためにメトロノームを使ってみても良いでしょうが、そうすると曲の持つ予期しない”不規則性”(他の人は望む)に気づくでしょうね。そうした不規則性が曲のスタイルとなるのです。規則的なビートを刻むと思われがちなアイリッシュやスコティッシュも実はこうしたビートの変化がありますが、コンピューターで再現できるかのような規則的で速い演奏もよく聞きます。おそらく、土地に伝わる音楽が、コンピューターで再現できるような、まるで数学的とでもいうような現代音楽にすごく影響を受けているのだと思います。オーストリアのウィンナーワルツだって、よく聞けば、リズムは加速したり変化します。
ポルスカはとても奥が深く、理解するまで何年とかかる。ポルスカを理解することは、玉ねぎをむいていくのに似ていると思うのです。一つの層をむくと、その下に新たな層があるのです。」
演奏中に足を踏むことについて
足を踏むのが当然だと思っていましたが、これも「コンサートでメロディを聞きたいのに集中できない。足を踏むのをやめるか、ソフトシューズにしては?」と言われ、また度々「足を踏むんですね…!?」と驚きをもって言われることが多いです。「お客さんが聞き苦しいのなら…」と迷いが生じ、これについてもディッテに聞きました。
「他の国もそうだけど、スカンジナヴィアの伝統曲を弾く人は、体を動かし足を踏みます。そうした音楽とは、元々、何かをするための音楽です。ダンス、歩くとき(結婚式やお祭りで)、仕事をする際の歌。足を踏むということは音楽の一部です。だから、足を踏むのをやめないでね!もちろん、ケルト音楽のairのように足を踏むべきでない音楽もあります。でも、スウェーデンにはairのような音楽を楽器で弾くことはめったにありません。」
※とはいえ、日本では好まないお客さんがいることも事実なので、踏む音が大きくなりすぎないよう注意しようと思います。
他ジャンルの曲をニッケルハルパで弾くこと
これは私が質問をしました。伝統曲のリスト中1曲だけなら、お客さんが知っている曲を入れることはいいのですがスウェーデンの音楽以外はどのように表現したらいいのか分からなくて、あまり人前で弾きたくありません。人によっては「皆が知っている曲を弾くべき。その中で1-2曲スウェーデンの曲を弾いたらいい。ニッケルハルパやスウェーデンの曲の魅力を知ってもらいたい、広めたいというなら、やり方を変えたほうが良い」という意見を時々もらいます。ディッテにその話をしたところ、ディッテらしい意見が聞けました。
「私も、違う種類の曲をニッケルハルパで弾きますよ。でも、ニッケルハルパで弾く曲はニッケルハルパの曲が一番良いという事実は否定できません。何人かで弾くための、クラシック、ポップス、ロックの曲は、ソロで弾いても楽しくない。でも、スウェーデンやノルウェーの曲はソロで弾くための曲で、一人で弾いて完全に美しいでしょう?私はそういう側面が好きです。」
感想
伝承音楽は、とにかく過去の優れた奏者の演奏を「聞いてまねをする」「聞いて感じて理解する」これが重要なのですね。そして、メトロノームで各小節の頭をそろえるといったことも不要。flow流れが大事で、それはメロディライン、楽器の特性、ダンスから来るもの。譜面から生まれた曲ではないということを理解することが一番重要。
もしそれを楽譜に落とし込み、現代風にアレンジして新しいものを作るのだったら「クリエイティブな作品」として良いものの、「伝統音楽」とは違うという認識が必要なんだと思いました。
私はポルスカを弾く時におおきなうねりを感じながら弾いていますが、みなさんはいかがですか?それは小節ごとにくる場合もあれば、フレーズとして円を描いて戻ってくる感じがすることもあります。規則正しいリズムと思われているスレングポルスカSlängpolskaでも、規則的に見えて遠心力がある、歩いているようで円を描く、あの感覚があります。譜面に落とし込むのではなく、聞いて自分の感覚を大事にしたいと改めて思いました。
ポルスカを聞いてまねするって、それってモノマネの世界か!?という方へ
以前、著名な書道家、柿沼さんのインタビューの内容にとても感銘を受けました。書の手本をまねしてまねして究極までつきつめると、そこで見えてきたものは自分の個性だったと。模倣と創造に垣根はないのだと。
わずかに感じるギャップをとらえることができた時にはじめて、自分の個性という実体のないものを感じる。究極の模倣とは自分をみつめることなのかもしれません。
では、私もより深い理解を求めて頑張ります!



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